風呂に2時間も入っていると、強制的に空白の時間が作られていい。

その上、いつもとはちょっと違った視点を得られる。
困るのはメモを取れないので、脳が揮発する点だが。
今日も二つの到達点が霧散した。

今日の覚えてる分の議題は
サウナでデトックス
 ↓
マクロビオティックでデトックス
 ↓
肉食の可否
 ↓
カニバリズムの可否

って流れでした。
帰結としてはカニバリズムはアリ。
私は食べないと思うけど、否定はしませんってことね。

以下、ちょっと生臭い話なので苦手な人は読まないように。

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生臭い話するよー。

まずマクロビオティックと肉食についてなんだけど、これは肉を食べると体臭がきつくなるってあたりを考えていて、体内を綺麗に保つ上でベジタリアンの思想というのは共感できるものだなぁと。
私も理想はベジタリアンです。現実はまるで無理だけど。豚肉も鶏肉も好きだ。
ドングリしか食べないベジタリアンな豚はとても素敵。
肉骨粉はデンジャラス。
やっぱり菜食は身体に良さそう。

さて、何を食べちゃいけない?
なんで食べちゃいけない?って考えていたら捕鯨反対派の「賢い動物だから殺すな」とか、そういった感情論に訴えるしょうも無い主張を思い出した。
で、鯨を食べる側の反論としては「牛や羊はいいのか?かわいそうじゃないのか?」ってなるわけです。

いや、その反論はまずいんだ。

魚も鳥も昆虫も爬虫類・両生類もいける。
一般に強い拒否感があるのって犬猫くらいか。

鯨も牛も豚も羊も食べる人たちが「犬猫はかわいそうだから食べない」ってのは筋が通らない。
美味しくないから食べないならわかる。
筋を通したいなら食べるべき。

じゃぁ人肉は?
もちろん食べる食べないにかかわらず、殺人はまずい。
「殺人はどうしてまずい?」
それがこの問題の根っこにあたる。

人間は下等な他の生物と違って共食いはしない、って意見もあるかもしれない。
世界中で殺し合いしてる段階でこれっぽっちも高尚な生物なんかじゃないんだけどね。

カニバリズムが野蛮だというなら、その他の肉食は野蛮ではないのか?
線引きが難しくなる。

カニバリズムのタブーというのは自己投影の恐怖なんだろう。
殺されたくない。
食べられたくない。
基本的な恐怖だと思う。

もうひとつ、越えるべき壁がある。
これも自己投影なんだけど、ハツとかタンとかレバーとかミノとか、想像できすぎてしまうんだ。
牛肉やモツを食べるとき「あぁ、ここの部分だな」って具体的に想像しながら食べる人はあまりいないと思うけど、人肉は想像してしまう。
それを心が拒むんだ。

ハツやレバーも想像しにくくするための、いわゆる隠語だよ。
じゃぁ、人肉にも隠語を使って想像しづらくする。
原型がわからなければ、拒否感は少ないだろう。

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いままでに食べちゃった告白をしてきた人たちは、(まぁ飢餓状態を除いて)基本的に殺人を犯してるわけです。
狩る側。食物連鎖で言えば上位です。
だから殺されるとか、食べられるって心配すらない。
—–ここまで大量殺人犯—–

—–ここからカニバリスト—–
で、殺すだけじゃなくて食べれちゃうのは、自己投影とかそんな基本的な面も吹っ飛んじゃってる。
肉=糧になる非常に合理的な方々だと思う。
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カニバリズムに対する拒否感は基本的には殺人に関するタブー。
現在蔓延している宗教に左右されるところも大きいのだろうね。

この問題を突き詰めていくと
『人も鯨も牛も豚も羊も魚も鳥も昆虫も爬虫類も両生類も美味しいなら食べる 肉食宣言』か
『人がかわいそうなら、鯨も牛も豚も羊も魚も鳥も昆虫も爬虫類も両生類も食べない ベジタリアン宣言』を迫られるだろう。
ただ、宣言を迫られるだけなので、「肉は食うけど理想はベジタリアン」とか、「肉食OK。人肉は否定しないけど食べるかはわからない」って現実的な立ち位置に落ち着くわけです。
じゃなきゃ、「殺されたくないから人肉だけNG。あとの肉は食べるよ」って、万物の霊長は言うかもしんない。

この話、もし感情論以外で明確に線引きが出来るなら聞いてみたい。討論しましょう。

朝が近いので今日はこの辺で。
あぁ、論文にまとめたいな。

ちなみに校正を何もしていない書きっぱなしなので、言葉が足りなかったり、誤字だらけだったりするとは思いますが、とにかく脳が揮発する前にアウトプットしたかっただけなのでご容赦を。
AM4時。おやすみ。